はいくる

「八月六日上々天気」 長野まゆみ

季節は夏真っ盛り。この時期は全国各地で楽しいイベントが催され、どことなく明るいムードがそこここに漂います。夏という季節は私達に活気をもたらしますが、同時に、胸を打つ悲しい事実をもまた思い起こさせます。それが戦争です。

一九四五年八月、日本には二つの原子爆弾が落とされ、終戦を迎えました。唯一の被爆国である日本が平和の大切さや戦争の悲惨さを訴える機会は多いですが、この時期はそれがより顕著に表れます。今回は、戦争にまつわる悲劇を扱った作品を取り上げたいと思います。小説家だけでなくイラストレーターとしての顔も持つ、長野まゆみさん『八月六日、上々天気』です。

 

こんな人におすすめ

戦時中の人間模様をテーマにした作品が読みたい人

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あの夏の日、広島の頭上には澄んだ青空が広がっていた---――昭和十六年、東京の女学校に通う珠紀は、暗い時代の中でも毎日を懸命に生きている。年下の従弟との交流、突然の結婚、夫の出征、広島への疎開、そして訪れる八月六日・・・・・誰もが辛かった時代、それでも彼らは日々に慎ましい幸福を見出していた。成長していく少女の目を通して戦争を描く、心震わす中編小説

 

この作品を読むまで、私は長野まゆみ作品と言えば少年が主人公で、幻想的な世界が舞台だと思い込んでいました。ところが本作は、女学校に通う少女が主人公であり、舞台は戦時中の日本。一体どんな話なんだと思いましたが、いざ読み始めてみると、気品ある文章で綴られる少女の心情や、当時の人々の人間模様にすっかり魅入られてしまいました。

 

主人公の珠紀は、小石川の女学校に通う十五歳の少女。日に日に戦況が厳しくなっていく毎日を、四歳年下の従弟・史郎と他愛ないやり取りを交わしながら懸命に生きています。そんな彼女にもたらされたのは、史郎の担任・市岡との縁談、そして結婚。短い結婚生活の後、市岡は出征し、珠紀は広島にある夫の実家に身を寄せます。兵学校への進学を望む史郎も、受験のため市岡家に下宿することになります。そして一九四五年、これから広島駅で友人と待ち合わせしていると言う史郎を、珠紀は最寄駅まで見送りに行きます。目が覚めるような快晴に恵まれた、八月六日のことでした・・・・・

 

あらすじからもタイトルからも分かる通り、この作品の時代背景は太平洋戦争真っ只中の日本。ですが、本作には戦争小説にしばしば登場する横柄な軍人も、物資を巡る陰湿な諍いも、隣近所からの村八分も出てきません。あるのはただ、苦しい時代を少しでも心豊かに過ごそうとする人間たちの営みです。地味な服装を少しでもお洒落に見せようと工夫したり、淡い初恋めいた思いを抱いたり、子犬のように慕ってくる従弟をちょっと鬱陶しく思いつつも、お手製のお菓子でもてなしたり。そんな何気ない描写が水彩画のように美しい分、今後待ち受ける原爆投下と敗戦の悲劇さがより強調されるように思え、最後数ページをめくるのが苦しくて仕方ありませんでした。

 

主人公・珠紀の瑞々しさはもちろん、多くの読者の心に強い印象を残すのは、珠紀の四歳年下の従弟・史郎でしょう。珠紀を「お姉様」と慕う彼は、作中で名言されてはいないものの、幼い頃からずっと珠紀を深く想っています。それは、珠紀が自分の担任教師と結婚した後も変わらず、側で珠紀を見守り続けます。終盤、彼が駅の待合室で珠紀と交わした言葉、その後の白玉の下りはもう泣けて泣けて・・・だって、これは八月六日の出来事なんです。史郎の行き先は広島駅なんです。全部で一五〇ページ少々の作品中、八月六日の部分は十ページ足らず。その分量でこれほど強烈に<あの日>の悲惨さを描いた作品は、なかなかないのではないでしょうか。

 

どんでん返しを楽しむタイプの作品ではないので言ってしまいますが、本作は八月六日、広島市に原爆が投下された直後の場面で終わります。珠紀のように市から離れた場所にいる人間は<大きな地震>を感じるものの、一体何が起こったのか分からず、「今、地震があった?」「東京と違ってこの辺は地震なんてないのにね」などとのどかな会話を交わします。そののどかさの後、彼女たちが何を見るのか。広島駅に向かった史郎は、特攻基地のある鹿屋に向かった市岡はどうなったのか。作中で触れられないからこそ、強く深く訴えかけてくるものがありました。原爆投下前と投下後、二つの原爆ドームが描かれた表紙があまりに悲しいです。

 

<その瞬間>まで、人々の日常は続いていた度★★★★★

決して忘れてはいけない度★★★★★

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コメント

  1. しんくん より:

    太平洋戦争中または戦後の日本の様子、、また原爆に被災した状況を描いた小説、漫画、映画は子供の頃からかなり観たり読んだりしてきたと思います。
    特に広島の原爆投下の様子を描いた「はだしのゲン」が特に印象に残ってます。
    「はだしのゲン」の少女版のようなイメージです。
    かなり読み辛い作品のようですが、150ページの中で訴えられているものが何か?
    大変に気になります。

    1. ライオンまる より:

      市民の日常を描いているという点では「はだしのゲン」と同じですが、本作は原爆投下による被害描写がない分、若干マイルドかもしれません。
      もっとも、「これから被害を目の当たりにしたヒロインはどうなるんだろう」という不安や恐ろしさはありますが・・・
      分量も少な目なので、比較的読みやすいと思います。

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