「物書きの主人公が執筆依頼を受けたことを機に、物語が動き出す」。これ、フィクションの世界では結構よくあるシチュエーションです。文章を書くからには当然下調べや取材を行わねばならず、その過程で様々な物事に触れるわけですから、物語の取っ掛かりとして成立しやすいんでしょうね。
どちらかと言えばミステリーやホラーなどのジャンルに多いシチュエーションのような気がしますが、もちろん、その他の分野でも面白い作品はたくさんあります。というわけで、今日はこの作品をご紹介しましょう。大人向け小説だけでなく児童文学も数多く執筆し、二〇〇六年には直木賞を受賞した、森絵都さんの「この女」です。
毎日の暮らしに困窮し、大阪の釜ヶ崎で日雇いの仕事を続ける主人公・甲坂。そんなある日、甲坂はかつて書いた小説が縁となり、ホテルチェーンの社長から一つの依頼を受ける。依頼内容は、「妻・結子の人生を小説にしてほしい」というもの。高額な報酬につられて依頼を引き受けた甲坂だが、まるで本心を見せようとしない結子に振り回されっぱなし。だが、彼は気づいていなかった。結子が、自分の運命を変える女であるということを・・・・・大震災直前の関西を舞台に繰り広げられる、図太くも切ない大人たちの恋愛小説。
森絵都さんといえば、「カラフル」「DIVE」といったジュニア小説のイメージが強かった私なので、本作には良い意味で裏切られました。ある秘密を抱えるせいでその日暮らしの毎日を送る主人公・甲坂の生活、彼が暮らす釜ヶ崎の現実、取材対象である結子の人生と、そこに関わったことから巻き起こる波乱、その先に待つ阪神淡路大震災・・・一つ一つの要素が持つ圧倒的な吸引力に、ぐいぐい引き込まれていきました。
秀逸だと感じたのは、甲坂が暮らす釜ヶ崎と、釜ヶ崎を含む「あいりん地区」の描き方です。日雇い労働者やホームレスの根城となり、行き倒れは日常茶飯事、一歩間違えれば暴動も起こりかねない地域、それがあいりん地区です。そんな地域に集った、いえ、集わざるをえなかった人々の体温と息遣いが、ページを通じて伝わってきた気がします。
上記の描写や未成年者への犯罪行為、障がい者への差別、不穏な空気を漂わせ始めるオウム真理教など、辛いシーンもありますが、そこは森絵都、それだけでは終わりません。タフで掴みどころのないヒロイン・結子や、結子の楯となる猪突猛進男・敦、面倒見が良く頼れる釜ヶ崎のリーダー格・松ちゃんなど、一癖も二癖もある登場人物たちが、物語を彩っています。特に私が好きだったのは、結子の弟を名乗る敦のキャラクター。幼い頃、彼が結子を守るため取った行動の真相を知った時は、思わず噴き出してしまいました。
冒頭で明らかになることですが、本作は「震災によって紛失してしまった甲坂の原稿が、十五年後に見つかった」という形式の小説です。登場人物がどれだけ懸命にもがき、愛し、生きようと、阪神淡路大震災は発生し、多くの犠牲が出ます。ですが、そこには希望もあると信じたいです。読まれた方は、ぜひ読了後、もう一度プロローグを読み返してみることをお薦めします。
登場人物がキャラ立ちしている度★★★☆☆
それでもやっぱり明日は来るんだ度★★★★☆
こんな人におすすめ
・現実の社会問題を扱った作品を読みたい人
・甘い恋愛小説に物足りなさを感じる人
「みかづき」でファンになりました。
恋愛ストーカーも描かれるのですね。
深いヒューマンドラマが楽しめそうです。
前向きな作風というイメージのある作家さんですが、薬物やいじめ等、重いテーマを書くことも多いんですよ。
本作でも、大人たちのままならない想いが巧みに描写されています。
「みかづき」はまだ読めていないので、早く手元に届いてほしいです。