私が子どもの頃、オカルト界隈では<ノストラダムスの大予言>が有名でした。最近は名前が出る機会もめっきり減ったので一応解説しておくと、これはフランスの医師兼占星術師であるノストラダムスが書き残した予言のこと。実物は相当な量の詩集なのですが、日本ではその中の第十巻七十二番『一九九九年七の月、空から恐怖の大王が来るだろう』という一文がやたらと広まり、「一九九九年の七月の世界へ滅亡するんだ!」という騒ぎになったのです。実際のところ、ノストラダムス自身は世界滅亡に関する記述は何一つ残しておらず、そもそも詩の和訳が間違っているという指摘すらあるものの、ホラー好きとしては印象深いブームでした。
一時期はテレビで大真面目に特番が組まれるほど人気を集めただけあって、ノストラダムスやその予言が登場するフィクション作品も多いです。ものすごく記憶に残っているのは、さくらももこさんの漫画『ちびまる子ちゃん』の中の一話「まる子ノストラダムスの予言を気にする」。主人公達がノストラダムスの予言を信じ、怯え、「どうせ世界滅亡するのなら勉強なんてしなくていいや」と遊び惚けるようになるが・・・というエピソードで、予言を知った登場人物達のうろたえっぷりや、その後の現実的なオチのつけ方の描写がお見事でした。では、小説では何が印象に残っているかというと、『ちびまる子ちゃん』とは一八〇度違う作風ですが、これを挙げます。森絵都さんの『つきのふね』です。
こんなひとにおすすめ
思春期の少年少女の戦いを描いた青春物語に興味がある人

小学校時代、図書室に置いてあった本は、当然ながら子ども向けの児童書が主でした。それから中学、高校と進むにつれて図書室のラインナップは徐々に大人向けになっていきましたし、自分で本屋巡りをして一般書籍を買う機会も増加。大人向けの本の方が生々しく露骨な描写が多いこともあり、イヤミスやホラー好きの私は児童書から遠ざかりました。
小説のテーマになりがちな問題は色々あります。<親子の確執>はその筆頭格と言えるのではないでしょうか。近い血の繋がりがあり、本来なら愛情と信頼で結ばれるはずの親子。ですが、近いからこそ、場合によっては憎しみや葛藤の対象ともなり得ます。下田浩美さんの『愛を乞う人』や山崎豊子さんの『華麗なる一族』、唯川恵さんの『啼かない鳥は空に溺れる』などでは、そんな親子の愛憎劇が描かれました。
人生は出会いと別れの繰り返しです。これは何も大きな出来事だけを指しているわけではありません。何気なく散歩している道にも、買い物しようと立ち寄ったコンビニにも、無数の出会いと別れが溢れています。
「物書きの主人公が執筆依頼を受けたことを機に、物語が動き出す」。これ、フィクションの世界では結構よくあるシチュエーションです。文章を書くからには当然下調べや取材を行わねばならず、その過程で様々な物事に触れるわけですから、物語の取っ掛かりとして成立しやすいんでしょうね。