<毒親>という言葉が作られたのは、一九八〇年代後半のことだそうです。意味は<子どもの人生を支配し、子どもに害悪を及ぼす親>。日本でも、二〇一五年頃には<ブーム>と表現してもいいほど有名な概念となり、書籍や映像作品でも頻繁に取り上げられてきました。
安易に「うちの親は毒親。毒親がすべて悪い」と言う風潮に対しては賛否両論あるようですが、子どもにとって、特にある時期まで親が神に等しいほど絶対的存在であることは事実。そして、悲しいかな、子どもを雑草以下としか思っていない親がいることもまた事実です。今回は、毒親問題について扱った作品を取り上げたいと思います。美輪和音さんの『天使の名を誰も知らない』です。
こんな人におすすめ
毒親問題をテーマにした小説に興味がある人

私は、一人の作家さんにハマると、その方の作品をひたすら読み続ける傾向にあります。近藤史恵さん、真梨幸子さん、乃南アサさん等々、ふとした瞬間に熱が再燃し、延々と読み返したものです。図書館の貸し出し履歴を見ると、当時の私がどの作家さんにハマっていたか一目瞭然で、ちょっと面白かったりします。
ふと、お気に入りの作家さんたちを思い浮かべてみて、あることに気付きました。「私が好きな作家さんって、小説家と脚本家を兼業していることが多いな」と。たとえばドラマ『放送禁止シリーズ』『富豪刑事』の脚本家であり、『東京二十三区女』『出版禁止』の作者でもある長江俊和さん。あるいは、『相棒シリーズ』で脚本を担当し、『幻夏』を書いた太田愛さん。もともと脚本家は小説家と兼ねることが多い職業ですが、映像作品を担当したことのある作家さんは、視覚的に映える描写力を持っている気がします。
文芸作品の中には<読むのが嫌になる小説>というものが存在します。決してつまらないわけなく、文章力や構成はとても優れているものの、あまりの悲惨さや恐ろしさにページをめくるのが怖くなる、という意味です。昨今のイヤミスブームの影響もあってか、一時期に比べるとこの手の作品が増えた気がします。