先日、<ジェントルゴースト・ストーリー>という言葉を知りました。意味は<優しい幽霊の物語>といったところでしょうか。人を祟ったり呪ったりしない、心優しい幽霊が出てくるほのぼのストーリーを指すそうです。こういう幽霊のことを、怪談研究家の東雅夫さんは<優霊>と訳したそうですが、実に名訳だと思います。
幽霊ならぬ優霊物語といえば、赤川次郎さんの『ふたり』、加納朋子さんの『ささらさや』、辻村深月さんの『ツナグ』などが思い浮かびます。どの作品に登場する霊達も、憎悪や恨みにとらわれることなく、遺された大事な人への愛情に溢れていました。最近読んだこの本に出てくる霊も、優霊と言っていいのではないでしょうか。荻原浩さんの『押入れのちよ』です。
こんな人におすすめ
バラエティ豊かなホラー短編集が読みたい人
人里離れた地でひっそり暮らす家族の秘密、同じ相手に恋した男達が抱く想い、激安アパートで出会った幽霊の正体、相続した一軒家に棲みつく猫の謎、殺意を抱き合う夫婦が囲んだ戦慄の食卓、神隠しにあった妹を探す姉の奮闘・・・・・この世という舞台で、人と妖の運命が絡み合う。ちょっぴり怖くてちょっぴり悲しい、傑作ホラー短編集
荻原浩さんは、『愛しの座敷わらし』等、人外の存在が登場しつつもほのぼの笑える作品をたくさん執筆されています。一方、著作の中には、『噂』『千年樹』のように、読者を暗澹たる気分に突き落とすサスペンスやホラーもたくさんあります(『千年樹』には、一部救いがありますが)。本作はその両方のいいとこ取りで、ちょっとコミカルで胸が温かくなるような話から、破滅しか待っていなさそうな絶望譚まで、幅広く収録されています。幽霊が登場する話は前述した<優霊>揃いな反面、生きた人間が絡む話は愚かで生臭いというところが、なんとも皮肉でした。
「お母さまのロシアのスープ」・・・お父さま亡き後、お母さまと妹のソーニャと共に、森でひっそり暮らす<わたし>。家族三人の暮らしは心穏やかだが、生活は次第に困窮していく。ある日、家に兵隊らしき男が訪れて・・・・・
<わたし>の語りで、これが戦後間もない時代の話であること、舞台が中国であることが分かります。断片的な情報から、何か嫌な予感がしていましたが・・・・・終盤明かされる家族の秘密は衝撃的でした。幼く、世間と離れて暮らす<わたし>とソーニャが、事態を何一つ理解していないことは、果たして救いなのでしょうか。
「コール」・・・大学のサークルを通じて仲良くなった岳、雄二、美雪。楽しい日々を過ごす三人だが、岳と雄二が二人とも美雪に好意を抱いたことで変化が生じ始める。なあなあで済ませられる問題ではない。岳と雄二は、ポーカーで勝負をし、勝った方が先に美雪に告白しようと約束するのだが・・・・・
二人の男と一人の女。そこに恋心が絡むと、関係がぎくしゃくするのがお約束。この手の話は後味悪くしようと思えばいくらでもできるのでしょうが、今回は切なくも温かなラストで良かったです。後半、ちょっとしたビックリが仕掛けられていて、ついページをめくり直してしまいました。
「押入れのちよ」・・・失業後、家賃の安さに釣られておんぼろアパートに引っ越してきた恵太。なんとそこは、明治生まれの少女の霊が出る曰く付きの部屋だった!驚愕する恵太だが、少女・ちよの霊は基本的に無害で友好的。やり取りを交わす内、ちよが辿った哀しい運命が明らかになり・・・・
恵太と、相学ができるちよとの会話がめちゃくちゃユーモラス。顔を見ただけで相手の性根を見抜くちよ、天才じゃないでしょうか?そんな風に前半がコミカルな分、後半、ちよがからゆきさんだったこと、幼くして悲劇的な死を迎えたことが分かる場面は胸が痛くなりました。恵太との交流は続くようだし、せめて今からでも楽しい思いをたくさんしてほしいです。
「老猫」・・・変人として知られた叔父が死に、主人公・川嶋は唯一の相続人として一軒家を相続する。幸い家の住み心地はまずまずだが、叔父が飼っていたらしい老猫の存在が気に入らない。だが、苛立つ川嶋をよそに、妻も娘も猫に心奪われていく。と同時に、彼女達の様子に異変が生じ・・・・・
意味不明の恐怖度では、この話が収録作品中でぶっちぎり一位ではないでしょうか。老猫の正体は一体何なのか、叔父と何か関わりがあるのか、すべての真相は闇の中。訳も分からぬまま徐々に精神を侵食されていく川嶋家と、不潔な老猫の描写がひたすら怖かったです。フジツボを思わせる無数の腫物ができた下腹・・・・・ひぇぇぇぇっ。
「殺意のレシピ」・・・身勝手で見栄っ張りな妻に嫌気が差し、ついに殺害を決意する主人公。周到に計画を練り、成功は確実-----のはずだった。だが、計画を実行する食事の席で、妻の様子がどうにもおかしくて・・・・・
じっとり陰気で湿った前話に対し、この話は皮肉の効いたブラックユーモアでした。互いに殺意を抱き合い、同じタイミングで殺害計画を実行しようとするこの夫婦、意外と相性がいいのでは?どちらも一方的にやられていないので、不思議と嫌な感じはしません。他人を巻き込まないよう、このまま夫婦でいればいいのにと思っちゃいます。
「介護の鬼」・・・寝たきりの舅の世話を行う苑子の気晴らし。それは、ろくに身動きできない舅をいたぶることだ。ある日、いつものように虐待の限りを尽くす苑子だが、ふと目を離した隙に舅が部屋から消えてしまう。寝たきりのはずなのに、なぜ?不審に思いつつ家中を捜索する苑子だが・・・・・
苑子が舅を痛めつける描写はものすごく陰湿で、特に男性は鳥肌が立つかもしれません。ただ、作中で苑子の所業しか描かれないから酷いと思うけど、もしかしたら舅も亡き姑も、ここまでしたくなるほどの仕打ちを苑子に行ったのかも・・・ただでさえ介護の過酷さは部外者には分からないものがあるし、単純に苑子を悪だとは思えなかったです。苑子とその夫には生き地獄が待っていそうですが・・・
「予期せぬ訪問者」・・・平岩は、愛人の里美を別れ話が拗れた末に殺害してしまう。弾みでやってしまったが、露見すれば逮捕は必至。どうにか隠蔽工作を行おうとする平岩の耳に、玄関のチャイムの音が聞こえてくる。どうやら清掃業者が来たようで・・・
偽装しようとすればするほどドツボにはまっていく平岩の姿が、妙に滑稽で笑ってしまいました。どことなく『古畑任三郎シリーズ』の「間違われた男」に似ているかな。たぶん、計画は失敗するのだろうなと思っていましたが、こういう失敗の仕方をするとは予想外でした。まあ、そもそも不倫した自分が悪いわけですしね。
「木下闇」・・・五月は母親の故郷を十五年ぶりに訪れた。そこは、幼い妹・弥生が神隠しに遭って以来、ずっと避けてきた土地だ。従兄弟の雄一とぎこちなくも和やかなひと時を過ごす五月だが、気持ちはやはり落ち着かない。その夜、五月は窓から見えるくすの木がなぜか気になって・・・・・
妹の失踪事件を解き明かすため、果敢に行動する五月がカッコいい!こんなこと、そこらの男だってできませんよね。夜中の探索シーンはめちゃくちゃスリリングで、どこかで真犯人が襲いかかってくるのでは!?とハラハラしてしまいました。最後の五月の一言が胸に染み入ります。
「しんちゃんの自転車」・・・母となった主人公が回想する、幼い日の思い出。ある夜、友達のしんちゃんが自転車に乗って主人公宅を訪ねて来る。主人公はこっそり家を抜け出し、自転車にしんちゃんと二人乗りして、森の中にある池へ向かうのだが・・・・・
ただの子ども同士の夜中の冒険譚じゃないよな、とは思いましたが、途中で分かる真実は予想以上に切なかったです。ただ、大人になった主人公が健やかな家庭を築いているらしいこと、しんちゃんとの約束を今も守り続けていることが救いに感じられました。主人公としんちゃんが夜中に二人乗りしていく場面はすごくノスタルジックで美しく、映像にしても映えそうです。
最終話が「しんちゃんの自転車」なせいか、作品全体の読後感も結構良いです。これで「お母さまのロシアのスープ」「老猫」辺りが最後なら、さぞ後味悪かったことでしょう(褒め言葉)。ちなみに本作が初めて刊行されたのは二〇〇六年。最近、荻原浩さんはあまりホラーは書かれていないようですが、そろそろ読んでみたいですね。
こんな優霊なら出会ってもいい度★★★★☆
愚かな人間はご遠慮します度★★★★★
荻原浩さんの作品は幽霊が登場する作品も何冊かよみました。まさにささらさややツナグのような「優霊物語」でした。
なかにはブラックユーモアの効いたイヤミスに近い短編集もあるようですね。
「古畑任三郎シリーズ」の「間違われた男」に似た短編集も気になります。
優霊あり、ブラックユーモアあり、ゾッとする化物譚ありと、贅沢な短編集でした。
表題作もいいけれど、私のお勧めは第一話「お母さまのロシアのスープ」。
少女の無垢な目線で語られる、人間の愚かしさ・残酷さが強烈です。