フィクション作品においては、現実では珍しい部類に入る名前の登場人物がしばしば出てきます。大場つぐみさん原作による漫画『DEATH NOTE』の主人公は<夜神 月(やがみ らいと>ですし、西尾維新さん『物語シリーズ』ヒロインは<戦場ヶ原 ひたぎ(せんじょうがはら ひたぎ>です。少し昔のものでは、吉川英治さん『宮本武蔵』に準主人公格で出てくる<本位田 又八(ほんいでん またはち)>も結構珍しい名前と言えるでしょう。
なぜ登場人物に変わった名前を付けるのか、理由は色々あります。主なものとしては、<作中での登場人物の扱いにより、現実で同じ名前の人が中傷されるのを防ぐため><「勝手に自分のことを書くなんて許せない」というクレームを防ぐため>といったところでしょうか。ただ、この作家さんに関しては、何より自分のこだわりで珍名を出している気がするんですよね。今回取り上げるのは、西澤保彦さんの『帰ってきた腕貫探偵』です。
こんな人におすすめ
安楽椅子探偵もののミステリー短編集が読みたい人
次々と転落死を遂げていくバンドメンバー達、病んだ体に鞭打って教え子を殺そうとした老女の謎、一つの指輪が導き出す愛憎劇の行方、他人となりかわって死んだ女が語る長年の確執・・・・・この闇を、彼は果たして解き明かすことができるのか。経歴不明の公務員探偵が活躍する、大人気ミステリーシリーズ第六弾
本作を読んで久しぶりに実感しましたが、西澤保彦さんは、作中に珍名を出すのが特徴の作家さんです。最近、たまたま平凡な名前の登場人物が多い西澤作品ばかり再読していたので、すごく新鮮でした。読みにくいと感じる読者も一定数存在しそうですが、慣れるとクセになるから不思議です。
『氷結のメロディ』・・・短期間のうちに、次々と転落死を遂げていく大学のアマチュアバンドメンバー達。いずれも事故か自殺としか思えない状況だが、さすがにこれだけ続くのはおかしい。まさか自分達は、死神に取りつかれてしまったのか。唯一、生存しているバンドメンバー・鳥遊葵(とかなし あおい)は、藁にも縋る思いで<櫃洗市一般苦情係>を頼るのだが・・・・・
学生時代特有の<すごく楽しいけど、いつまでも続きはしないんだろうな>感と、メンバーが一人また一人と死んでいくという不気味さのギャップが印象的でした。西澤ワールドにしては珍しく、明確な悪意・害意を持っていた人間が一人もいないところがなんともやりきれない・・・なお、ここで登場するナルシストの女装男子・葵君は今後準レギュラー化します。なかなか面白いキャラクターなので、一話限りにならなくて嬉しいです。
「毒薬の輪廻」・・・車椅子生活だった元教師の老女が、驚異的な精神力で立ち上がり、かつての教え子を刺殺しようとする殺人未遂事件が発生。あれだけ良くしてくれたのに、先生はなぜ私を殺そうとしたのだろう。辛くも難を逃れた教え子・新田目美絵(あらため みえ)は、<櫃洗市一般苦情係>に相談してみることにする。実はこの元教師と美絵には、過去に因縁があって・・・・・
同じことを書いている方が何人かいらっしゃいますが、横溝正史を思わせる、親族どろどろ愛憎サスペンスです。人間関係がこれでもかと絡み合っているものの、短編ということもあって意外とすっきりまとまっていました。ただ、改めて考えてみると、これだけの大惨事を経験し、半分は自分が原因にも関わらず、とりあえず普通に暮らしている美絵が一番怖い気がします。
「指輪もの騙り」・・・相次いで見つかった嫁と姑の遺体。生前、二人の折り合いは最悪であり、どうやら姑を殺害したのは嫁らしい。では、嫁はなぜ死んだのか。さらにこの嫁は、指輪を巡り、ひどく奇妙な行動を取っていて・・・・・
腕貫探偵が登場せず、ユリエを中心とする準レギュラーキャラクター達が謎解きを行う異色作です。すでに故人であり、ユリエ達の会話で語られるだけにも関わらず、嫁と姑の存在感の強烈なことといったら。それでいて決して非現実的ではなく、「こういう人、いるよね」と思わせる描写力がさすがでした。トリックが見破られていく過程は、収録作品の中でこの話が一番好きです。
「追憶」・・・成仏しきれず彷徨う女性の幽霊が、<櫃洗市一般苦情係>を訪れる。彼女は一週間前に死んだ有名作家・越沼霞巳(こしぬま かすみ)の霊だという。だが、記録によれば、越沼霞巳は何十年も前に死んでいるはず。では、ここで彷徨っているのは一体誰なのか。霞巳曰く、彼女は赤の他人と戸籍を入れ替えて生きてきたそうで・・・・・
この話では、なんと幽霊が相談者となります。それでもまったく動揺しない腕貫探偵が、さすがというかなんというか。西澤保彦さんが過去の著作でも何度かテーマにした<記憶の不確かさ>が、幽霊視点で上手く料理されていました。こういう錯誤・思い込みって、意外と起こりうるのかもなぁ。
なお、前述した通り、本作は『腕貫探偵シリーズ』の第六弾に当たります。以前、ブログで第一弾、第二弾に当たる『腕貫探偵 市民サーヴィス課出張所事件簿』『腕貫探偵 残業中』をご紹介しました。間にあと三作あるのですが、個人的に本作がすごく好みなので、順番は無視して取り上げてしまいます。このシリーズは基本的に一話完結型。順序関係なく読んでも大きな支障はないのでご安心ください。
ドロドロ具合はシリーズ一では?度★★★★★
異色作が目立ちます度★★★★☆